母が他界しました

 

3月16日母が他界しました。H.P上で報告するのもいかがなものかとも考えましたが、私の議員生活はもとより、すべての面で影になり日向になり支えてくれた母ですので、お許しを賜りたいと思います。

母は気丈で我慢強く働き者で家族の文字通り大黒柱として55年間北野家を盛りたててくれました。私たち3人姉妹を育てる傍ら、家業である飲食業時代や不動産賃貸業の社長として住友銀行勤務の経験を活かして切り盛り。

父・北野禎三の妻としては議員の妻の制服といわれるくらい喪服の姿は皆様の脳裏に焼き付いているかもしれませんが、代理で通夜・告別式に参列。全く面識のない方の葬儀でも遺族の涙にもらい泣きをするくらい涙腺がもろいそんな面もありました。

阪神タイガースが好きで、高校野球が好きで、ビールとお寿司が大好物。よく笑いよく泣きよく怒ってました。でも一番好きなのはたぶん父のことだったろうと思います。体調が悪い父の介護に明け暮れ、自分のことは二の次で、筋金入りの病院嫌いで歯医者さんと出産のときの入院しか知らず、亡くなる前日に初めて病気入院をし、滞在時間わずか25時間で息を引き取ってしまいました。

この状態この検査数値でこの状態は医学的には考えられないという医師の診断は、末期の肺がん。肝臓まで転移し、いつ急変してもおかしくないからすぐ会わせたい人があったらすぐ呼んであげてくださいと言われてもピンときませんでした。それくらい意識は亡くなるまでしっかりとしていて、集まってきた家族や父に早く帰れ、なんで来たんだと怒る母・・・その2時間後にすーっと息を引き取りました。苦しんだのはほんのわずかでした。

もっと前に病気を発見できていたらという悔いの残る気持ちもありますが、母は生前「私はもういつ死んでも悔いのない人生を生きてきた。ぴんぴんころりが一番や!」と繰り返し繰り返し言って来ましたから、有言実行したのではと思いたいです。

ただ、父よりは一日でも長生きしたいと願っていた母。それだけは叶えられなかったですが、残ったわれわれ家族でしっかり見て行くから大丈夫だし、不眠症気味でショートスリーパーだった母には、駆け抜けてきた太く短い人生を見事に生き抜いて、さぞかし疲れたと思いますので、ゆっくり休んで下さいと言いたいです。あっぱれな母の最期。決してまねのできない生きざまだと誇りに思うと同時に、あのような最期を見せられて、私は本当に本当に母のことを尊敬していたのだと気づきました。もっとやさしい言葉をかければよかった、もっと気遣ってあげればよかった。心の準備も覚悟も何もできていないのに、母は逝ってしまいました。

最愛の母を亡くして今日で12日が過ぎました。

お世話になりました方々には、本当にたくさんのご弔問・ご弔電・ご会葬を賜り、心より厚くお礼申し上げます。有難うございました。