ブラジル視察
平成19年(2月8日~10日の間、在ブラジル日本国大使館 酒井了 二等書記官(経済班)同行)
2月8日(金)(全行程サンパウロ・大阪姉妹都市委員会 花田ルイス氏同行)
サンパウロ市議会日系議員との昼食会

ウシタロウ・カミア(神谷)議員、アウレリオ・ノムラ(野村)議員、ゴウラール議員と昼食をともにしながら懇談
ブラジルとは夏時間の関係で時差3時間。真冬のN.Y.、ワシントンD.C.から来るとやはり暑いが、町全体がどことはなしに大味な印象を受ける。サンパウロは大気汚染が以前社会問題になったが、空がどんより曇るというようなこともなく、陽光が降り注ぎわれわれを迎えてくれた。ブラジルの日系人は大変能弁で愉快で、移民100周年の記念式典の話題や、議員間交流も二世代にわたっていることもあり、これまでのサンパウロ視察団(19ぺけぺけ年)のことなどを話し合った。

サンパウロ市議会親善訪問

・日系議員の案内により議会内を見学
・サンパウロ市議会議長表敬(アントニオ・カルロス・ホドリゲス議長と面会できなかったので、議長補佐官ダニエウ・ジャルジン氏に記念品を預ける)

記者会見(サンパウロ市議会内にて)

・訪伯の目的等について記者会見
やはりブラジル・サンパウロ市でも市議会と市長のいる市役所は別である。市議会議員は51名で構成され、うち女性議員は6名。日系の神谷議員、野村議員によって日系社会とも深いつながりがある。各議員に対し21名のスタッフが付くがそのうち3名のみが公務員である。議員本人の給与は7500レアル(約45万円)/月。スタッフは5800レアル(約34万円)。市長が9000レアル(約53万円)なのでそれを超えてはいけない。公聴会が中心でやはり市民と議員の距離は近いと感じる。
生まれて初めて表敬訪問の芳名録にサインをしているが内心とても緊張。記者会見は地元紙や日本の新聞社の支局が取材に来ていた。とかく物見遊山と思われがちな議員視察旅行という批判の中で再開された今回の視察第一弾なので、出発時の空港でのインタビューもだが、現地でも日本のプレスが悪意を含んだ質問を投げてくる。訪問地サンパウロ市当局に対する敬意や配慮も忘れないように団長が答える。ますます頑張って勉強して帰ろうという意欲がかきたてられる。

サンパウロ市公共事業局清掃部幹部との面談(サンパウロ市議会内にて)

・清掃部長ウェベル・シローニ氏、分別回収担当部長ワグネル・タヴェイラ・ダ・シウヴァ氏、分別回収調整官アントニオ・ジ・パドゥア・シャガス氏、分別回収技官パウロ・ホーザ・アフーダ氏、環境教育調整官マノエウ・ドス・サントス・フィリョ氏の幹部職員5名からサンパウロ市の廃棄物行政及び環境教育について、大阪市の協力事業の結果を踏まえて説明聴取
サンパウロの廃棄物処理は基本的に埋め立てであった。そこで姉妹都市関係の本市環境局に廃棄物処理に関する協力をJICAを通じて要請された。
2002年 大阪市(磯村元市長)とサンパウロ市(マルタ・スプリシ前市長)廃棄物分野の協力等に関して共同声明
2004年 独立行政法人国際協力機構(JICA)大阪国際センターとともにサンパウロ市を訪問。固形廃棄物処理プロジェクトの事前評価調査を実施
2007年 5月と8月にJICA専門家と大阪市職員を現地派遣 固形廃棄物管理の実施機関であるLINPURB(清掃部)に対し、パイロットプロジェクトの技術的アドバイスを行い、サンパウロ市による環境教育を中心とした3Rの取り組み・計画作りの技術的指導 を行なう 
サンパウロ市は固形廃棄物処理を民間委託している。都市系・建設系・医療系に分かれており、都市系最終処分場(埋立地)ではメタンガスを集めて発電を行い、浸透してくる液体を処理する施設を整えている。汚泥も完全処理されており、土壌汚染の心配はないらしい。40年前の埋立地がショッピングモールに生まれ変わっているという。しかし地下水脈の利用は禁止されておりやはり土壌汚染の可能性は否定していない。
資源ごみはエコポイントと呼ばれ、リサイクル可能なごみを引き受ける中間施設である小規模な収集地(市内25ヵ所あるが、将来的には96ヵ所に増える予定)で分別される。
ブラジルにおけるサンパウロ市などの都市部では、急激な経済成長の影で廃棄物行政の遅れは否めず、環境問題や廃棄物に対する市民の認識がなかなか変らなかったが、ここ近年の変化は著しい。これは行政の住民に対する環境啓発、環境教育に負うところが大きい。
また、環境教育はパイロット校と呼ばれる幼稚園・小学校で行なっている。上水の水源地周辺150ヵ所を重点的に選んでいるが、義務教育の一環になっていないことが課題として残る。子どもがごみに対する意識が変わると大人が変わり、将来へつながる。社会的な啓発活動の対象者はこうした学校の先生や住民、社会団体などである。大阪市の固形廃棄物管理プロジェクトの専門家派遣でサンパウロ市の環境行政に寄与できたことを大変誇りに思った。プロジェクト期間中の2008年1月と7月の2回、サンパウロ市から研修員を受け入れるが、プロジェクト終了後も姉妹都市提携下で協力関係を継続して行くことが大切であると思った。口先の国際貢献ではなく、現実的な技術指導に市民の税金を使うことは異論のないことであろう。しかも地球の裏側、最も遠い姉妹都市間での協力関係だからこそ大切にしていかなくてはいけないパートナーシップであるし、日本人のDNAを持った人たちが100年前に移民したブラジルの首都再生に一役買うことができるのは意義深い。 

サンパウロ市役所親善訪問

・ジルベルト・カサビ市長を表敬訪問し平松市長からの親書を手交(サンパウロ市国際局長アルフレード・コタイ・ネト氏同席)
国際関係局長が対応して下さり、姉妹都市提携40周年を来年にひかえ、都市の問題点なども似ていることから、これを機会に関係強化のチャンスである旨のことを聞く。ジルベルト・カサビ市長が公務のため遅れて来られ、無事平松市長からの親書を手交。
カサビ市長は若く、フランス留学の経験から、サンパウロ市内の商店などの看板の大きさ等の規制を就任当初から積極的に行ない、市内の景観が一変したことで行政手腕も高い評価を受けているという確かにアメリカや日本の都市にありそうな巨大広告やビル・商店・ホテル等の看板はなく、番地を示すナンバープレートのみ建物についている。初めて訪れた観光客には分かりづらいが、住んでる人たちにとってはすっきりしていて、都市景観としては成功していると感じた。

サンパウロ・大阪姉妹都市委員会主催歓迎夕食会

在サンパウロ日本国総領事館丸橋次郎首席領事、姉妹都市委員会高木ラウル会長、花田ルイス氏をはじめ、日系の各団体の方々と夕食をともにしながら懇談
在サンパウロ総領事館丸橋主席領事を交えて、日系社会の代表の方々から歓迎を受ける。やはり日本人同士、いろいろな話に花が咲いた。
後で分かったことだが、この会は日系社会の成功者の集まりであること。日本全国からの移民の1世、2世で構成される。みんながみんな成功している訳ではなく、逆に出稼ぎに日本へ行く日系人も増えてきているとのこと。BRIKSに数えられる経済発展著しいブラジルでも、格差はやはり存在する。
この夕食会で、北海道安平町から雪だるまをこの常夏の国に運んできているので、是非時間を作って見に来て欲しいという話をいただき翌日視察することになった。

ブラジル日本移民100周年記念式典会場(サンボドロモ)訪問

今年6月21日に式典が予定されている会場を視察
正式名称“サンボドロモ:サンバドーム”と呼ばれているブラジル移民100周年式典会場を翌9日に視察する予定だったが、この日の深夜、先日行なわれたサンバ・カーニバルの上位入賞者によるエギジビションパレードが行なわれるということで、カサビ市長さんからの招待を受け、予定を変更して一日繰り上げて向かった。警察の先導でおそろいのTシャツにリストバンドを贈られたわれわれ一行は、思わぬ成行きに戸惑いながらも会場へ。
サンパウロ市では6月に皇太子殿下をお迎えしてこの場所で移民100周年記念式典が予定されている。この100周年を記念して地元で指折りの名門サンバチーム“ビラ・マリア・サンバ・スクール”が今年のパレードのテーマに日本文化を選んだ。日系人が喜ばないわけはない。しかしこのいささかデフォルメされた日本文化紹介の模様が2月14日号の週刊Bに取り上げられた。帰りの飛行機内で見つけたものだが、その見出しには「日本の文化が凄い勢いで曲解されています(笑)」というものだ。週刊Bといえば比較的質の高い週刊誌と認識していたが、確かに写真を見れば短絡的にそういう感想を持つ人も多いかもしれない。しかし、異国の地でしかも移民100周年の本来の意味や、日系人のブラジル社会での位置づけを少し考慮すれば、常勝サンバチームが日本文化を取り上げたことそのこと自体を素直に評価してもよいのではないかと思った。確かに正しい文化理解をしてもらいたいという気持ちがないわけではないが、遊び心のない一面的なコメントに対し、パレードを観て感激した気持ちに水を差されたような感想を持った。

平成19年2月9日(土)(全行程サンパウロ・大阪姉妹都市委員会 花田ルイス氏同行)
フルラン・バイオエタノール工場訪問

州立サンパウロ大学バイオエネルギー研究サポートセンターメンバーのネウソン・セラ氏の案内でサトウキビ畑を視察(工場自体は雨季のため稼動停止中)

州立サンパウロ大学訪問

バイオエネルギー研究サポートセンターメンバーのネウソン・セラ氏からバイオエタノール生産等について、農学部教授ジョゼー・オタヴィオ・ブリート氏から大学の概要について説明聴取
ピラシカバ市はサンパウロの車で約2時間の郊外にあり、道中は見渡す限りのサトウキビ畑が続く風景。降水量が1~3・4月まで1200mmの雨季あと乾季が続く理想的気候でサトウキビ栽培に適している。2007年には4億5000万トンのサトウキビを収穫したがこれは前年比15%増であり、700万haの土地で賄うことができる。この土地効率は牛を放牧するよりはるかに良いため、ブラジルの代表的畜産物である牛肉の生産がサトウキビに取って代わるようになってきているのが問題となっている。日本で言われているような、木の伐採をしてサトウキビ畑にしているわけではないらしい。
しかも外資が介入し、エタノールの原料であるサトウキビ生産に拍車をかけてきている。
講義は州立サンパウロ大学の農学部の研究室で行なわれた。アカデミックで広々としたキャンパスは休日のため学生の姿が見られず、近所の親子連れが散歩を楽しむのどかな雰囲気だ。学生の2割は日系人だという。優秀で勤勉な日系人の証しかもしれない。
現在は雨季のため稼動しておらず視察できなかったが、プラントも大規模化が進む。サトウキビの75%は水分であり円心分離させると20%の砂糖と80%の水になる。また発酵させ蒸留するとエタノールになる。しかも搾りかすは火力発電させて、工場で使う電力を生み出すことにより100%有効利用できるサトウキビは、とうもろこしに比べて優位性を持っている。
2007年エタノール生産の180億ℓのうち、30億ℓはカリブ海経由で主にアメリカへ、150億ℓは国内消費される。アルコールのパイプライン計画も、日本をはじめ全世界へと進められている。
*世界的に見ると化石燃料(ガソリン)からバイオ燃料(サトウキビやとうもろこしなどの農作物や木材などの植物由来の多糖から作られる液体燃料)へとエネルギーはシフトして来ている。
ブラジル国内を走る車のうち85%がガソリン燃料でもアルコール燃料でも混ぜても走るフレックス
車である。

サンパウロ州立チエテ・エコロジー公園訪問

ブラジル・ニッポン移住者協会主催でブラジル日本移民100周年記念事業として展開されている「21世紀の森作り」全伯植樹キャンペーン「日伯・友情の森」プロジェクトの一環として、公園内の日伯・友情の森の一角に記念植樹

平成19年2月10日(日)(全行程在伯大阪なにわ会 下平尾哲男会長、山本剛介副会長同行)
イビラプエラ公園訪問

・ブラジル日本移民開拓先没者慰霊碑に献花
・日本館を視察

サンパウロ市のイビラブエラ公園内に、ブラジル日本都道府県人会連合会が日本移民開拓先没者慰霊碑を建立して33年が経つ。この間天皇・皇后両陛下や皇族方、政府高官、政治家はじめ多くの参拝者がここを訪れ開拓先没者の霊を弔って来られた。1908年6月18日サントス港に笠戸丸が入港して以来まもなく100年を迎えようとしているが、ブラジル社会にしっかりと根ざした日系人達の今日は、初期開拓民の辛い生活の上に築かれたものである。マラリアなどの風土病に命を落としたり、やむにやまれず開拓途上で脱耕や転住など、多くがブラジルから遠く離れた土地で無縁仏となった先人の霊を弔い慰めることから建立された。毎年6月18日は『移民の日』として参拝者の香や花が絶えない。

在伯大阪なにわ会との交流昼食会

なにわ会館にて在伯大阪なにわ会の皆さんと交流昼食会

市内ビラマリアナ区にある地下1階地上3階建ての在伯なにわ会館で歓迎式の後、中庭に面したスペースでの交流昼食会が持たれた。会員数は250名であり、写真の通りほとんど全員が歓迎に集まっていただいたのではと思うほど、老若男女1世から3世までが心からの歓迎会をして下さった。ブラジルでの暮らしぶりや来日の経験談を聞いたり、なにわ会の活動の様子などを伺った。今は結構安定した裕福な生活を送っている人が多いとのこと。趣味を持ちボランティア活動などをする余裕もあり、出席者は一様におしゃれをして来ておられ、すっかりサンパウロでの生活に満足している様子が伺えた。食生活も長年の習慣で、日本人というよりはブラジル人に近いらしいが、やはり高齢になると野菜や魚中心の食事になるものの、70~80歳のご婦人でもお肉をしっかり召し上がっていた。体形は日系人もやはり日本人のDNAなのだと実感。普段接している日本人女性となんら変わりはない。
ただし、自分達の子どもや孫たちに、日本語や日本の習慣をどのように伝えていったらよいのか困っているとの事。特にブラジル人と結婚したり、2世同士の結婚でもどうしてもポルトガル語の会話になってしまうことで、どんどん言葉を使わなくなると、忘れてしまうらしい。子どもたちは日本語室に通わなくては日本語が話せない。
逆に、在伯日本企業の駐在家族も多いが、その子弟は日本人学校に通い、日本人教師によって日本語でしか授業が行なわれないため、ブラジルにいてもポルトガル語が全く習得できないという。日本政府は日本人学校に通う子弟には学費補助を企業経由で行なうが、現地校や外国人学校に通うとその補助は出ない。日本人社会と日系人社会は微妙に距離があるという。日本語を習いたい日系人の子弟とポルトガル語を習いたい日本人の子弟。簡単なようで難しい問題だ。

北海道から空輸された雪を用いたブラジル北海道協会主催の雪だるま祭りを視察なにわ会に別れを告げ、すぐ近くにある北海道県人会館へ。北海道安平町長さんが私費約350万円で送ってくれたものらしい。今日は気温30℃くらいだが、海外輸送は初めての試みで、雪を知らない子どもや大人が約8000人ほど詰め掛けたという。冷凍コンテナで丸2日かけて空輸。安平町といえばスケートと自転車で有名な橋本聖子参議院議員の故郷だ。
北海道県人会館ではさまざまなイベントを同時開催しており、北海道の物産も豊富に展示即売。
大阪はほとんど日本からの贈り物はないという・・・・

リベルダージ地区(東洋人街)訪問

・ブラジル日本移民史料館を視察
・姉妹都市提携を記念して命名された大阪橋を視察


日本移民資料館はさびれた一角にあり、中に入ると笠戸丸からの日本移民の歴史が工夫を凝らして展示してある。しかしわれわれ以外に来館者はいない。大阪市歴史博物館のように当時のほったて小屋の中での初期移住者の暮らしぶりが再現されており、日本から必死の思いで持ってきたと思われる日用品が胸を打つ。重労働と貧困と戦いながらコーヒーや綿、豆などを原始林を拓いて栽培していた入植当時の映像も見ることができた。
大阪橋は日本人街と昔呼ばれた界隈の真ん中に位置し、今は日本人より韓国人・中国人に席巻されて東洋人街とその名前を変えているものの、鳥居とこの橋が当時を偲ばせる。しかし、随分老朽化していて今にも崩れ落ちそうな欄干であった。下は8車線もあるような幹線道路で、日本だったらきっと撤去勧告が出ているだろうと思われるような橋であった。

平成19年2月11日(月)(全行程元クリチバ市環境局長 中村ひとし氏同行)
クリチバ市幹部との昼食会

・市長官房長官ルイ・キヨシ・ハラ氏、環境局長ジョゼー・アントニオ・アンドレゲット氏、都市交通公社総裁 パウロ・アフォンソ・シミッチ氏と昼食をともにしながら懇談

在クリチバ日本国総領事館表敬訪問

佐藤宗一総領事からクリチバ市、パラナ州の概況について説明聴取及び懇談
国際環境都市としてその名を馳せたクリチバ市は、ブラジルという発展途上の一地方都市である。
地下鉄はおろか鉄道もなく、ごみの焼却炉さえないこの一地方都市が世界の専門家の注目を集める都市になったのか。                              


① 人を大切にするまちづくり(人が主、車は従)
② 可能な限りシンプルな、市民が理解しやすいプロジェクト
③ 経済的にも技術的にもクリチバ市に合ったプロジェクト
④ 100%完璧さを求めずすぐできることから柔軟にやっていく
この4原則どおりに実行して、クリチバ市は世界各国から視察団が引きも切らずに押し寄せる環境都市に生まれ変わった。
クリチバ市はブラジル南部のパラナ州の州都である。気候は温暖だが海抜900mの高地にあるため、天候が変わりやすい。人口は180万人で日系人が45000人でサンパウロに次ぐ多さである。特に、ジャイミ・レルネル前州知事がクリチバ市長を3期務めた時代(‘71~’75・‘79~’83・‘88~’92)に、大きく変容を遂げた。
当時のブラジルには斬新であったごみ分別、3両編成のバスやチューブステーション、人口1人あたりの公園面積49㎡となり、1990年国連から環境都市として表彰され、2006年には国連の環境会議も開催された。
クリチバ市は姫路市と姉妹都市で、日本企業も数多く進出している。(古河電工、日産、倉敷紡績、丸紅など)しかし、パラナ州からも日本への出稼ぎは多く、日系人社会の空洞化問題が起きている。

クリチバ市役所訪問

都市交通公社総裁パウロ・アフォンソ・シミッチ氏、都市交通公社交通部経費管理室長ダニエウ・コスタ氏からバスシステム等都市交通施策について説明聴取(市長、議長、ジャイミ・レルネル元市長との面会ができなかったので、中村ひとし氏に記念品を預ける)
クリチバ市においてはできるだけ自家用車を使わない都市計画を立てた。まず都心の繁華街から車を追い出した(1972年花通り)。また交通計画と土地利用計画を統合的に考え、莫大な予算のかかる地下鉄を建設せずに、既存のバスを地下鉄のようにターミナルを設け、ネットワーク化することで、大幅にコストを削減することができた。さらに乗車効率を上げるため、チューブ型のバスストップを導入することで乗り降りに要する時間の短縮(10秒以内)、バス専用レーンの導入で高速運転と定時運行を可能にした。
この画期的な手法が国際的にも大変評価を受けている点は他にもある。それはすべての公共バスは10のバス会社に民間委託で、URBS(ウルビス)が路線管理やターミナル整備を行ない、乗車人数によらずに走行距離によってバス会社に支払う。市民は1乗車1ドル(乗り換えても市内均一料金)でそのうち15%は無料の人の運賃が含まれている。(無料:障害者・65歳以上の高齢者・5歳までの子ども)定期券などもあり、福祉料金も設定されている。
また軸線とよばれる幹線道路を走る快速・環状・急行バスと、住宅地などに入る普通バスをはっきり色分けしており、一般車はバスの専用レーンには入れない。隣接市との提携によって、快速バスを乗り入れることもでき、自動的にクリチバのバスシステムに入るような仕組みになっている。このめ、230万人もの人が隣接市からクリチバに通勤通学する。よって1974年以降タクシー台数は増えていないし、一般車の台数も世界の同じ面積や人口の都市と比べ、30%余り少ないという。
さらに、こうしたバスネットワークは用途地域と密接に関係付けられていて、軸幹線沿いは高層建築や商業地域としてますます集積が進む一方で、住宅地の静謐な環境が守られていく。なお、軸幹線の両脇にある花壇のゾーンは大阪花博(1990年)のときに見たものをまねて導入されたものだという。
バス幹線ネットワークを中心とした同心円的な都市計画は今も続行中で、しかしながら身の丈(予算額)に合わない大型開発ではなく、あくまで人に優しいまちづくりを目指しているという印象であった。

都市交通施策と土地利用計画についての視察

移動車中にて中村ひとし氏から説明を聴取しながら、バス専用チューブ型バスステーション、バス専用レーン、トライナリーシステムと用途地区、シティズンシップ・ストリート(バスターミナルと区役所、商業施設との複合施設)などを車窓より視察
実際に乗ってみたかった2連・3連のバスとチューブ型バスストップであるが、身体障害者用の昇降口もちゃんとある。中で待つ市民もごく当たり前のようにして唯一の公共交通を整然と利用している。生活の中に溶け込んでいるといったさまである。
次の視察ヵ所は郊外にあるため、われわれのワゴン車は現在工事中の軸幹線の様子を見ることができた。地下鉄と違い、地下埋設物による工事の遅れなどもなく、完成予定がはっきりと分かる。大阪市のバスは地下鉄と競合する幹線系と、補完する役割のフィーダー系と、小回りにルート走行するコミュニティー系の3種類に大別されるが、いまひとつ乗車率が向上しないのはやはり定時走行できないことや乗り継ぎの分かりにくさ、バス停の位置の問題などさまざま考えられる。しかし市税を投入して構築してきた公共交通の一手段として、これからは発想を転換して大幅なルート変更もすべての系統を総合して考えて行くようにしなければならないだろうし、バス停位置やその時刻表などをGPSによって携帯電話に送れるようなシステム開発すれば、若年層の乗車率が向上するかもしれない。敬老優待パスをお持ちの高齢者には、バスを使っての市内を季節ごとに案内したり、イベント開催日程や名所旧跡と組み合わせたマップ作りなども面白いかもしれない。
クリチバの交通網を実際に見て、市民の足として根付いているということを実感したが、地上を走るというこれ以上無い分かりやすさがその成功の大きな一因であることは間違いない。すでにある市バスをもっともっと市民に利用してもらうための努力は怠ってはいけないし、手をこまねいていても何も始まらないと思った。お金をかけずに知恵を出して、公共交通を考えなければならない。

ヴィラ・ヴェルジ第1地区環境寺子屋訪問

中村ひとし氏の案内でヴィラ・ヴェルジ第1地区にある環境寺子屋を視察(緑の交換プログラムはプログラム終了後に現地に到着したため視察できず)
環境寺子屋(ECOS)とは不法侵入地区の住民の子ども達がストリートチルドレン化するのを防ぐために、学校でもない保育所でもない、子どもが集まるところを作った。5歳~12歳までの子ども達が130人通うECOSを視察した。教師の資格を持つ指導者を置いて、環境についての知識を教え、工作などをしたり、運動をさせたりする。こうしたファーベラ(スラム)では給食を実施して子どもを空腹にさせないことも犯罪抑制に大事な要素となっている。現在はECOSは35ヶ所を数え7000ヵ所の子どもたちが通っているが、整備して78ヶ所に増設することを計画している。

緑の交換プログラムは“ごみでないごみ”を分別することの意味を貧困層の住民に教えるため、中央青果市場での売れ残りや近郊中小農家から過剰生産物を割安で購入し、それをファーベラで“ごみではないごみ”(リサイクル可能なごみ)と交換するという試み。家庭内でごみの分別が自然と行なわれ、再生可能なごみは価値のあるものだということを身をもって体験させる。意識を変える。なぜ分別するのかがはっきり分かった市民は、参加意識も強くなり、ひいては市民の誇りにまで高まったという。
このことは、分かりやすい市民教育の例として、特筆すべきことだが、プログラムを実際に見ることができなかったのは誠に残念である。人々が缶やビンを持って列をなし、野菜と交換する様子を見たかった。
これはファーベラ内の住居(かろうじて門と分かる)の脇に設けられた生ごみ置き場。地上1メートルの位置にあるのは、犬猫のエサとして食い荒らされるのを防ぐためである。こうしてごみとして出されるのは、本当に再利用できない生ごみだけである。
下の写真は空港の入り口に設置されたごみ箱。ここでも徹底したごみの分別が普通に行なわれているのがよく分かる。環境都市クリチバはこうして住民参加型の強制されない方法によってわずか数十年で生まれ変わった。
こうして環境都市クリチバ滞在時間8時間の駆け足だが内容の濃い視察を終え、帰途に着いた。


左はクリチバ空港。右は最終到着地伊丹空港である。地球をボールに見立てるとその中心部を串刺しにした位置関係にあるサンパウロと大阪。乗り継ぎの待ち時間を除いての飛行時間は26時間15分であった。遠い姉妹都市だが今回の視察で、われわれは確実にその足跡を残してきた。そして学ぶべきものがたくさんあった。それを今後の大阪市政に活かして行かなければ行った意味がない。視察ダイアリーの感想欄にも書いたが、施策立案のヒントにまた発想に、確実にわれわれの意識の上にどしんと乗っかってきたこの大きな経験をおおいに活かして行きたい。